◆セウタ, Ceuta, سبتة
大航海時代Onlineの世界でセウタはジブラルタル海峡を抜けてやや奥まった位置に設定されているが、実際には海峡の東側出口に接する形で横たわり北岸の街ジブラルタルと直に向き合っている。
現在はスペイン領のこの街を最初にイスラム勢力から切り取ったのは15世紀初頭ジョアン1世治下のポルトガル王国で、このとき立てた武勲を皮切りとしてアフリカ西岸航路の開拓に乗り出し、喜望峰を越え遙かインド・東南アジアへと版図を連ねるのちの海洋王国への道に先鞭をつけたのが、かのエンリケ航海王子である。
このセウタ攻略は、イベリア半島のイスラム勢力駆逐を志すポルトガル王国のグラナダ侵攻を、隣国のカスティーリャ王国が良しとしなかったために矛先を変えて行われたという経緯がある。ライヴァルの思惑によってポルトガルは期せずして、イベリア半島のレコンキスタ完成を待たずにアフリカ大陸へと進出することになった。エンリケ航海王子がプレステ・ジョアンの伝説に心酔したことはよく知られているが、大航海時代の先駆けはこのようにして宗教的熱情や使命感の入り込む余地が大きい素朴なものだったとまずは言うことができるだろう。
1580年のスペイン王フェリペ2世によるポルトガル王位の継承時、本国とともにセウタの街もスペイン統治下に吸収されるが、のちにポルトガルが再独立を果たしてもこの街はスペインへの帰属維持を望んだため、以後スペイン領として今日に至っている。
現代においてスペインは英領ジブラルタルの返還を求めつつも、モロッコからのセウタ返還要求は拒み続けているが、その言い分がなかなかふるっている。ジブラルタルは18世紀初頭に英国領とされる以前はスペイン王国領であったのに対し、今に続くモロッコのアラウィー朝が成立した1660年において、セウタはすでに伝統的にスペインの街であった、というのである。たしかにスペインは今も立憲君主制の王国だから、その理屈は一見完璧にも映る。が、国体の継続のみを根拠とするその論理展開がそもそもむにゃむにゃ(以下略)。
このセウタを巡るスペイン-モロッコの関係とジブラルタルを巡るイギリス-スペインの関係は相似的かつ対照的で、現代世界における南北問題をも巻き込んで互いに入れ子のような構造を見せて興味深い。ついでなのでジブラルタルについても触れておく。
◇ジブラルタル, Gibraltar, جبل طارق
セウタもジブラルタルも、大本をたどるとフェニキア人に行き着く。彼らはイベリア半島を重要な資源獲得地としたが、当時の航行技術では沿岸航行が基本となったため、海際には一日に進める距離ごとに拠点が築かれた。その距離はおよそ50kmというから、アフリカ北岸に点在する歴史ある都市のほとんどはフェニキア人がその起源に絡んでいると考えて良いだろう。ただしそれは多くの場合単なる中継地としての用途や内陸の原住民に対する防衛上の都合から岬の突端や岸壁のへりに築かれたため、街として発展するためには中心を内陸に移す必要がいずれ出てくる。カルタゴの遺跡が現代のチュニス市街より海側に集中するのもそのためだが、セウタとジブラルタルに関しては航路上の要衝であること自体がその後も優先的な意味をもち続けたから、現代の街並みも海にせり出した形で狭い土地の内側へひしめくように展開している。ちなみにセウタ・ジブラルタル双方の岬の尖端部分はいずれも急峻な山岳状になっていて、両方併せて「地中海の出口には二本の‘ヘラクレスの柱’が立っている」として古代のギリシア〜エジプト世界にもよく知られた存在だった。
ジブラルタルが正式に英国領とされたのはユトレヒト条約によってスペイン継承戦争が収束に向かう1713年のことだが、イギリスがこの地を求めたのは直接的な領土的野心や対スペインの敵愾心からというよりは、より広く地中海全体を射程に置いた戦略上どうしても欲しかったのであれこれ言いがかりを並べて占領したという面が大きい。世界の五つの海を制した大英帝国海軍がそこまで地中海にこだわる理由を不思議に思う向きもあるだろうが、英国最大の植民地であるインドと本国との最短通商路はエジプトの陸路を経由する地中海航路であった。ゆえにスエズ運河が開通すると、まだ所有するフランスに使用料を払っていた時代から地中海航路の保全はおのずとイギリス海軍における最優先事項となった。かのネルソン提督もその任に就いた地中海艦隊司令はジブラルタルを拠点としたから、もしここがイギリス領とならなかったらナポレオン艦隊を殲滅したナイルの海戦も、史上名高いトラファルガーの海戦も今に伝わる形とはかなり異なる様相を見せたことだろう。
大航海時代Onlineの世界では今後まとめて実装する計画でもあるのかというくらい、この時代に栄えた各国の軍港が揃って登場していない。イギリスのジブラルタルやポーツマス、フランスのブレスト・トゥーロン、スペインのカディス、ヴェネツィアのコルフ島等々がそれにあたるが、これら海事拠点を巡る攻防に海域制圧等も絡めた新システムを導入するとかなり面白いことになりそうではある。そういうことはそのうち姪っ子がまとめて書きそうな気配もする。でもいつ書くんだとかは聞かない。怖いから。
今日ジブラルタル市民の間ではスペインへの返還を望む声は小さく、かといってユーロ圏への接続も捨てがたい。そこでEUによる直接統治領のような形を望む声が増しているらしい。その点でもセウタとは事情が異なっていて、南北の格差が激しい現状ではいかなる形であれセウタ市民が‘アフリカ’への帰属を望むことはないだろう。こうしたあたりの顛末も込みで‘世界飛び地研究会’のセウタ[→link] とジブラルタル[→link] の項が面白いので興味あるひとにはお薦め。というか有名なので言わずもがなかもしれないが、このサイト自体が無類に面白い。それを面白いと感じる種のひとにとっては、という条件付きだけれども。以前都心のスペイン料理店で両親と年に数度の食事をした折、父がいきなり‘世界飛び地研究会というサイトがあってね’と話を振ってきたのでのけぞったことがある。血か。要するに血だったのか。もはやこれまで。
大航海時代Onlineの世界でセウタはジブラルタル海峡を抜けてやや奥まった位置に設定されているが、実際には海峡の東側出口に接する形で横たわり北岸の街ジブラルタルと直に向き合っている。現在はスペイン領のこの街を最初にイスラム勢力から切り取ったのは15世紀初頭ジョアン1世治下のポルトガル王国で、このとき立てた武勲を皮切りとしてアフリカ西岸航路の開拓に乗り出し、喜望峰を越え遙かインド・東南アジアへと版図を連ねるのちの海洋王国への道に先鞭をつけたのが、かのエンリケ航海王子である。
このセウタ攻略は、イベリア半島のイスラム勢力駆逐を志すポルトガル王国のグラナダ侵攻を、隣国のカスティーリャ王国が良しとしなかったために矛先を変えて行われたという経緯がある。ライヴァルの思惑によってポルトガルは期せずして、イベリア半島のレコンキスタ完成を待たずにアフリカ大陸へと進出することになった。エンリケ航海王子がプレステ・ジョアンの伝説に心酔したことはよく知られているが、大航海時代の先駆けはこのようにして宗教的熱情や使命感の入り込む余地が大きい素朴なものだったとまずは言うことができるだろう。
1580年のスペイン王フェリペ2世によるポルトガル王位の継承時、本国とともにセウタの街もスペイン統治下に吸収されるが、のちにポルトガルが再独立を果たしてもこの街はスペインへの帰属維持を望んだため、以後スペイン領として今日に至っている。
現代においてスペインは英領ジブラルタルの返還を求めつつも、モロッコからのセウタ返還要求は拒み続けているが、その言い分がなかなかふるっている。ジブラルタルは18世紀初頭に英国領とされる以前はスペイン王国領であったのに対し、今に続くモロッコのアラウィー朝が成立した1660年において、セウタはすでに伝統的にスペインの街であった、というのである。たしかにスペインは今も立憲君主制の王国だから、その理屈は一見完璧にも映る。が、国体の継続のみを根拠とするその論理展開がそもそもむにゃむにゃ(以下略)。
このセウタを巡るスペイン-モロッコの関係とジブラルタルを巡るイギリス-スペインの関係は相似的かつ対照的で、現代世界における南北問題をも巻き込んで互いに入れ子のような構造を見せて興味深い。ついでなのでジブラルタルについても触れておく。
◇ジブラルタル, Gibraltar, جبل طارق
セウタもジブラルタルも、大本をたどるとフェニキア人に行き着く。彼らはイベリア半島を重要な資源獲得地としたが、当時の航行技術では沿岸航行が基本となったため、海際には一日に進める距離ごとに拠点が築かれた。その距離はおよそ50kmというから、アフリカ北岸に点在する歴史ある都市のほとんどはフェニキア人がその起源に絡んでいると考えて良いだろう。ただしそれは多くの場合単なる中継地としての用途や内陸の原住民に対する防衛上の都合から岬の突端や岸壁のへりに築かれたため、街として発展するためには中心を内陸に移す必要がいずれ出てくる。カルタゴの遺跡が現代のチュニス市街より海側に集中するのもそのためだが、セウタとジブラルタルに関しては航路上の要衝であること自体がその後も優先的な意味をもち続けたから、現代の街並みも海にせり出した形で狭い土地の内側へひしめくように展開している。ちなみにセウタ・ジブラルタル双方の岬の尖端部分はいずれも急峻な山岳状になっていて、両方併せて「地中海の出口には二本の‘ヘラクレスの柱’が立っている」として古代のギリシア〜エジプト世界にもよく知られた存在だった。
ジブラルタルが正式に英国領とされたのはユトレヒト条約によってスペイン継承戦争が収束に向かう1713年のことだが、イギリスがこの地を求めたのは直接的な領土的野心や対スペインの敵愾心からというよりは、より広く地中海全体を射程に置いた戦略上どうしても欲しかったのであれこれ言いがかりを並べて占領したという面が大きい。世界の五つの海を制した大英帝国海軍がそこまで地中海にこだわる理由を不思議に思う向きもあるだろうが、英国最大の植民地であるインドと本国との最短通商路はエジプトの陸路を経由する地中海航路であった。ゆえにスエズ運河が開通すると、まだ所有するフランスに使用料を払っていた時代から地中海航路の保全はおのずとイギリス海軍における最優先事項となった。かのネルソン提督もその任に就いた地中海艦隊司令はジブラルタルを拠点としたから、もしここがイギリス領とならなかったらナポレオン艦隊を殲滅したナイルの海戦も、史上名高いトラファルガーの海戦も今に伝わる形とはかなり異なる様相を見せたことだろう。大航海時代Onlineの世界では今後まとめて実装する計画でもあるのかというくらい、この時代に栄えた各国の軍港が揃って登場していない。イギリスのジブラルタルやポーツマス、フランスのブレスト・トゥーロン、スペインのカディス、ヴェネツィアのコルフ島等々がそれにあたるが、これら海事拠点を巡る攻防に海域制圧等も絡めた新システムを導入するとかなり面白いことになりそうではある。そういうことはそのうち姪っ子がまとめて書きそうな気配もする。でもいつ書くんだとかは聞かない。怖いから。
今日ジブラルタル市民の間ではスペインへの返還を望む声は小さく、かといってユーロ圏への接続も捨てがたい。そこでEUによる直接統治領のような形を望む声が増しているらしい。その点でもセウタとは事情が異なっていて、南北の格差が激しい現状ではいかなる形であれセウタ市民が‘アフリカ’への帰属を望むことはないだろう。こうしたあたりの顛末も込みで‘世界飛び地研究会’のセウタ[→link] とジブラルタル[→link] の項が面白いので興味あるひとにはお薦め。というか有名なので言わずもがなかもしれないが、このサイト自体が無類に面白い。それを面白いと感じる種のひとにとっては、という条件付きだけれども。以前都心のスペイン料理店で両親と年に数度の食事をした折、父がいきなり‘世界飛び地研究会というサイトがあってね’と話を振ってきたのでのけぞったことがある。血か。要するに血だったのか。もはやこれまで。