◆チュニス, Tunis, تونس
歴史を考える意義は無論多様だが、概観的には二つの方向性に集約される。一つは己の立ち位置を明確に意識するべく、筋の通った‘語り’のうちにそのルーツを収めようとする方向性。もう一つはいわゆる学問上の研究対象としてみる方向性。両者は必ずしも相反せず、世上語られる歴史とはおおむねこの2つのベクトルがうまくかみ合う領域で生成されてきた。これによって、その歴史的価値は明瞭であるにも関わらず、どうしても矮小化されて語り継がれる部分が生じることになる。カルタゴはその良い例だろう。
現代人の視座は西洋近代の急速な発展を一方の基盤に置かざるをえない。その西洋近代が自己のルーツとして参照し確認するのはつねにギリシア・ローマであって、カルタゴがその語りのなかで占める位置は決して低くはないものの、あくまでローマの好敵手としてのみその存在を承認され、保障されていると言って良い。‘語り’は本質的にアンフェアな性格をもつものだから、このこと自体はどうこう言っても仕方がない。
けれどもそのような位置を与えられ続けた結果として今日、カルタゴをめぐる人々にどこか謎めいたニュアンスが付随していることは興味深い。フェニキア人として括られる彼らは、古代の地中海世界においてまずギリシアの興隆に対し、そして続くローマの強勢に対してそれを凌ぐほどの活躍を見せ、そして去った。ヘロドトスの記述を根拠に、彼らが紀元前数百年の段階で喜望峰を回っていたとする学者もいれば、米大陸に渡っていたとする俗説すらあるらしい。
冒頭にあげた画像はカルタゴに実在した軍港の復元図だけれども、まるで現代建築のコンペ案でも見ているかのようである。というような印象を、この絵を初めてみた人ならたいてい抱くはずだと思う。ネットで拾ったこの画像はチュニス市内の博物館にある図なのだが、そう思わせる風に絵の質感を方向付けられていることがここではポイントとなってくる。カルタゴの存在全体が、要は神秘化されやすいオブジェなのだ。

ポエニ戦争は古代地中海世界の覇権をかけた戦いとして名高いが、‘ポエニ’の名はそれ自体が‘フェニキア(Phoenicia)’に由来する。カルタゴ将軍ハンニバルのアルプス越えによってローマが恐慌に陥ったエピソードは、大ローマ帝国の幻影を追い続けたその後のヨーロッパ人にとっては他者から付与されたトラウマ的な原体験として、その戦役に付された呼称の意味するところとともに、その意識の基底へと深く刻印されたことだろう。対するローマ将軍スキピオのスペイン・北アフリカへの逆襲によって窮地を脱しのちのカルタゴ支配へと到ったプロセスの記憶はまた、これほどに強大な相手をも克服したという記念碑的な役割も果たしてきたはずである。
そしてそれゆえに、だからこそ、彼らフェニキア人は消え去らねばならなかった。ある時期を境に忽然と姿を消した、というような描かれ方は冷静にみるならどの目にも不自然だけれど、このような‘語り’の整合性の面から考えれば頷けるものがある。シドンやティルスなどを本拠としたフェニキア本国は早くからペルシアやエジプトなどの外来勢力にその主導権を譲り渡し、その政治的衰退がのちの西方カルタゴの隆盛にもつながったのだけれど、このことやカルタゴのローマへの屈伏を以ってフェニキア人は「姿を消した」、「歴史の表舞台から去った」などと表現されるところにその謎めいた印象を明かすヒントの一端はたぶんある。
フェニキア本土の人々についていえば、もともと交易上の必要性から遠隔の地に無数の拠点を築いていった強靭な人々なのだ。そのしなやかさは、むしろ時々の‘帝国’の支配欲をも巧みに利用することのほうに発揮されたはずである。相次いで勃興し衰退する諸帝国の歴史のみを歴史とみれば彼らは古代のうちに「忽然と姿を消した」ことにもなるが、その発想自体が根本的に貧しいことはもはや言うまでもないだろう。
そのように考えを巡らせつつ、冒頭の画像へと再度立ち戻る。恐竜絶滅以前に棲息した生物種や、いまだ未知領域の広い深海生物を扱った書籍やテレビ番組などではよく、現在地表上で見られる哺乳類等とはまったく異なる体系によって進化した生物たちの姿がCGにより再現されるが、そこに私たちは現在の自分たちを自明の存在としない‘もう一つの世界’の可能性をかいま見る。
カルタゴの地にかつて実在したガレー船団のための軍港の形態が印象深く映るのは、‘もう一つの地中海’の可能性を鮮やかに想起させるだけの強度がそこに備わっているからだ。彼らが去った表舞台としての歴史より、比較にならないほどの魅力を彼らそのものに覚えてしまう。おそらくそのような姿勢によってのみ、このブログは現在継続されているのだとおもう。これらの文章が大航海時代Onlineというゲームとかろうじて親和性を保つとすれば、その理由もきっとこのあたりにありそうだ。
歴史を考える意義は無論多様だが、概観的には二つの方向性に集約される。一つは己の立ち位置を明確に意識するべく、筋の通った‘語り’のうちにそのルーツを収めようとする方向性。もう一つはいわゆる学問上の研究対象としてみる方向性。両者は必ずしも相反せず、世上語られる歴史とはおおむねこの2つのベクトルがうまくかみ合う領域で生成されてきた。これによって、その歴史的価値は明瞭であるにも関わらず、どうしても矮小化されて語り継がれる部分が生じることになる。カルタゴはその良い例だろう。現代人の視座は西洋近代の急速な発展を一方の基盤に置かざるをえない。その西洋近代が自己のルーツとして参照し確認するのはつねにギリシア・ローマであって、カルタゴがその語りのなかで占める位置は決して低くはないものの、あくまでローマの好敵手としてのみその存在を承認され、保障されていると言って良い。‘語り’は本質的にアンフェアな性格をもつものだから、このこと自体はどうこう言っても仕方がない。
けれどもそのような位置を与えられ続けた結果として今日、カルタゴをめぐる人々にどこか謎めいたニュアンスが付随していることは興味深い。フェニキア人として括られる彼らは、古代の地中海世界においてまずギリシアの興隆に対し、そして続くローマの強勢に対してそれを凌ぐほどの活躍を見せ、そして去った。ヘロドトスの記述を根拠に、彼らが紀元前数百年の段階で喜望峰を回っていたとする学者もいれば、米大陸に渡っていたとする俗説すらあるらしい。
冒頭にあげた画像はカルタゴに実在した軍港の復元図だけれども、まるで現代建築のコンペ案でも見ているかのようである。というような印象を、この絵を初めてみた人ならたいてい抱くはずだと思う。ネットで拾ったこの画像はチュニス市内の博物館にある図なのだが、そう思わせる風に絵の質感を方向付けられていることがここではポイントとなってくる。カルタゴの存在全体が、要は神秘化されやすいオブジェなのだ。

ポエニ戦争は古代地中海世界の覇権をかけた戦いとして名高いが、‘ポエニ’の名はそれ自体が‘フェニキア(Phoenicia)’に由来する。カルタゴ将軍ハンニバルのアルプス越えによってローマが恐慌に陥ったエピソードは、大ローマ帝国の幻影を追い続けたその後のヨーロッパ人にとっては他者から付与されたトラウマ的な原体験として、その戦役に付された呼称の意味するところとともに、その意識の基底へと深く刻印されたことだろう。対するローマ将軍スキピオのスペイン・北アフリカへの逆襲によって窮地を脱しのちのカルタゴ支配へと到ったプロセスの記憶はまた、これほどに強大な相手をも克服したという記念碑的な役割も果たしてきたはずである。
そしてそれゆえに、だからこそ、彼らフェニキア人は消え去らねばならなかった。ある時期を境に忽然と姿を消した、というような描かれ方は冷静にみるならどの目にも不自然だけれど、このような‘語り’の整合性の面から考えれば頷けるものがある。シドンやティルスなどを本拠としたフェニキア本国は早くからペルシアやエジプトなどの外来勢力にその主導権を譲り渡し、その政治的衰退がのちの西方カルタゴの隆盛にもつながったのだけれど、このことやカルタゴのローマへの屈伏を以ってフェニキア人は「姿を消した」、「歴史の表舞台から去った」などと表現されるところにその謎めいた印象を明かすヒントの一端はたぶんある。
フェニキア本土の人々についていえば、もともと交易上の必要性から遠隔の地に無数の拠点を築いていった強靭な人々なのだ。そのしなやかさは、むしろ時々の‘帝国’の支配欲をも巧みに利用することのほうに発揮されたはずである。相次いで勃興し衰退する諸帝国の歴史のみを歴史とみれば彼らは古代のうちに「忽然と姿を消した」ことにもなるが、その発想自体が根本的に貧しいことはもはや言うまでもないだろう。
そのように考えを巡らせつつ、冒頭の画像へと再度立ち戻る。恐竜絶滅以前に棲息した生物種や、いまだ未知領域の広い深海生物を扱った書籍やテレビ番組などではよく、現在地表上で見られる哺乳類等とはまったく異なる体系によって進化した生物たちの姿がCGにより再現されるが、そこに私たちは現在の自分たちを自明の存在としない‘もう一つの世界’の可能性をかいま見る。カルタゴの地にかつて実在したガレー船団のための軍港の形態が印象深く映るのは、‘もう一つの地中海’の可能性を鮮やかに想起させるだけの強度がそこに備わっているからだ。彼らが去った表舞台としての歴史より、比較にならないほどの魅力を彼らそのものに覚えてしまう。おそらくそのような姿勢によってのみ、このブログは現在継続されているのだとおもう。これらの文章が大航海時代Onlineというゲームとかろうじて親和性を保つとすれば、その理由もきっとこのあたりにありそうだ。