◆ジェノヴァ, Genova, Zena
巨躯であったと伝えられる。ために老いて肉が削ぎ落されてなお、高みから放たれるその眼光は容易に周囲を圧したという。また、寡黙であった。軍議においては終始目をつむり、数十歳は若い発言者たちの献策に耳を傾けるのが常であったが、結局は最後にこの男の発する一言がすべてを決めた。この寡黙な男が戦場でのみ発する咆哮はだが、会戦海域に浮かぶあらゆる軍船の帆を震わせたともいう。生ける軍神であった。
アンドレア・ドーリア(Andrea D'Oria)。齢八十を超えてなお自ら艦隊を率い、敵船団に当たり続けた男の名前である。
のちに一国の趨勢を一人で背負うことになるこの男を、母国ジェノヴァはまず手軽な軍人として遇し、そして動乱のさなかマルセイユへと放逐した。まもなく街はフランス国王フランソワ1世の占領下に置かれる。しかしこれに反発してドーリア麾下12隻のガレー船団がフランスからスペインへと寝返ると、ジェノヴァはほぼ自動的にスペインの領下へと入った。1528年のことである。この男が己の軍事的才能によって、ジェノヴァを単身フランスの圧政から解放した形となった。
この功績を讃えて共和国ジェノヴァは男にドージェ(Doge, 元首)の地位を用意する。だがドーリアはこれを断り、代わりにケンスル(Censor, 監察官)の官職を要求した。古代ローマに由来するこのやや控え目な響きを備えた役職を自らのためだけに復活させたことは、結果的には男に終身独裁者の座を約束した。このとき齢はすでに還暦をこえていた。しかし彼の存在は以後30年にも渡り、当時地中海の過半を占めていたイスラムの人々を恐れさせることになる。
スレイマン大帝やカール5世が覇を競い、ヴェネツィア共和国や新興国フランスが凌ぎを削った同時代の地中海においても、‘現実的に’その海の手綱を握ったのはハイレディン・バルバロッサ[→link]とこのアンドレア・ドーリア、ただ二人であったとしても恐らく過言とはならない。

海洋都市国家としてのジェノヴァの最盛期を、13〜14世紀周辺とする歴史家は多い。たしかにその世紀、ジェノヴァは海外に最も多くの居留地を抱え、ヴェネツィアやピサなど他国の海軍にも多く勝利した。だが仔細に検討すると、この見方はかなり一面的なものであることがわかってくる。実際たとえばジェノヴァが最大勢力を占めた黒海の諸港は15世紀以降次第に失われていくが、これはジェノヴァの国力そのものの衰退というよりも、東方におけるティムール朝の強勢が黒海北東岸のキプチャク・ハン国を圧迫したために起きたシルクロードの“草原の道”から“砂漠の道”への移行を反映したものという色合いのほうが実は濃い。
その間、ジェノヴァは交易路を武力によって切り拓くのではなく、既存の勢力へとり入ることによって獲得する、より巧妙な外交戦術を身に付けていく。近世スペイン最大の貿易港セビリアなどは、こうしてただジェノヴァ人の手によって発展したと言っても良いだろう。15世紀末、彼らジェノヴァ人は黒海交易からセビリアを起点とした新大陸交易へと活動の主舞台を切り替える。そして16世紀末カリブ海域の銀山が軒並み枯渇すると、今度は中南米の金銀を交易の主軸としていった。スペインによるインカ・アステカへの侵攻は、こうした経済的背景を抜いては語れない。やがて余りに多くを海外商人の手に委ねたスペイン・ポルトガルは、栄光の歴史を残して静かに没落を始めていく。だがそれもまた多くのジェノヴァ商人にとっては恐らく、交易形態の変化を意味したに過ぎないだろう。遠く21世紀現代においても商港としてジェノヴァがイタリア最大の取扱高を誇っていることは、その何よりの証だと言えるかもしれない。利を尊び、名より実を獲り続けた海洋都市国家の息遣いがそこにある。

さてまだ無名の若き日、一家の所用を兼ねて男はカスティーリャ地方のある街を訪れた。どうしても訪ねておきたい人物がそこには住んでいたのである。快く面会に応じてくれたその人物もまたジェノヴァ出身であることも手伝って、話は長く続いた。不思議なことを言う。と、率直に男は思った。黒海の港で遥か東方から来たらしい異国人の奇特な居姿をすでに目にしていた男からすれば、あらゆる意味で異質な人間がこの世界にはまだ多く存在することは想像に難くない。しかしこの世が球体であるというこの人物の主張がどういうことなのか、やはりよくわからない。ならばすべてが逆様の遠き海原では、たとえばガレーの櫂はどの向きに漕がれるのか。洋上での白兵戦はどのように行われるというのだろうか。そこでは神もまた逆様なのか。そしてそのことに、いったいどういう意味があるというのか。
面白い。だが、己にはやはり関わりのないことだ。男はそう結論付けた。目下の敵は我がジェノヴァの内部にある。その敵を克服し遂せても、次には近隣のミラノやフィレンツェ、大国フランスやスペインとの鬩ぎ合いが控えている。そのさらに先では、年を追うごとに勢力を増す異教徒の海賊たちとの抗争が我が人生を埋め尽くすことだろう。そうであってほしいと願う。つまりはその結論が欲しくてここに来たのだと、クリストフォロ・コロンボの居宅を辞して男はようやく気がついた。
晴れやかな日であった。
巨躯であったと伝えられる。ために老いて肉が削ぎ落されてなお、高みから放たれるその眼光は容易に周囲を圧したという。また、寡黙であった。軍議においては終始目をつむり、数十歳は若い発言者たちの献策に耳を傾けるのが常であったが、結局は最後にこの男の発する一言がすべてを決めた。この寡黙な男が戦場でのみ発する咆哮はだが、会戦海域に浮かぶあらゆる軍船の帆を震わせたともいう。生ける軍神であった。アンドレア・ドーリア(Andrea D'Oria)。齢八十を超えてなお自ら艦隊を率い、敵船団に当たり続けた男の名前である。
のちに一国の趨勢を一人で背負うことになるこの男を、母国ジェノヴァはまず手軽な軍人として遇し、そして動乱のさなかマルセイユへと放逐した。まもなく街はフランス国王フランソワ1世の占領下に置かれる。しかしこれに反発してドーリア麾下12隻のガレー船団がフランスからスペインへと寝返ると、ジェノヴァはほぼ自動的にスペインの領下へと入った。1528年のことである。この男が己の軍事的才能によって、ジェノヴァを単身フランスの圧政から解放した形となった。
この功績を讃えて共和国ジェノヴァは男にドージェ(Doge, 元首)の地位を用意する。だがドーリアはこれを断り、代わりにケンスル(Censor, 監察官)の官職を要求した。古代ローマに由来するこのやや控え目な響きを備えた役職を自らのためだけに復活させたことは、結果的には男に終身独裁者の座を約束した。このとき齢はすでに還暦をこえていた。しかし彼の存在は以後30年にも渡り、当時地中海の過半を占めていたイスラムの人々を恐れさせることになる。
スレイマン大帝やカール5世が覇を競い、ヴェネツィア共和国や新興国フランスが凌ぎを削った同時代の地中海においても、‘現実的に’その海の手綱を握ったのはハイレディン・バルバロッサ[→link]とこのアンドレア・ドーリア、ただ二人であったとしても恐らく過言とはならない。

海洋都市国家としてのジェノヴァの最盛期を、13〜14世紀周辺とする歴史家は多い。たしかにその世紀、ジェノヴァは海外に最も多くの居留地を抱え、ヴェネツィアやピサなど他国の海軍にも多く勝利した。だが仔細に検討すると、この見方はかなり一面的なものであることがわかってくる。実際たとえばジェノヴァが最大勢力を占めた黒海の諸港は15世紀以降次第に失われていくが、これはジェノヴァの国力そのものの衰退というよりも、東方におけるティムール朝の強勢が黒海北東岸のキプチャク・ハン国を圧迫したために起きたシルクロードの“草原の道”から“砂漠の道”への移行を反映したものという色合いのほうが実は濃い。
その間、ジェノヴァは交易路を武力によって切り拓くのではなく、既存の勢力へとり入ることによって獲得する、より巧妙な外交戦術を身に付けていく。近世スペイン最大の貿易港セビリアなどは、こうしてただジェノヴァ人の手によって発展したと言っても良いだろう。15世紀末、彼らジェノヴァ人は黒海交易からセビリアを起点とした新大陸交易へと活動の主舞台を切り替える。そして16世紀末カリブ海域の銀山が軒並み枯渇すると、今度は中南米の金銀を交易の主軸としていった。スペインによるインカ・アステカへの侵攻は、こうした経済的背景を抜いては語れない。やがて余りに多くを海外商人の手に委ねたスペイン・ポルトガルは、栄光の歴史を残して静かに没落を始めていく。だがそれもまた多くのジェノヴァ商人にとっては恐らく、交易形態の変化を意味したに過ぎないだろう。遠く21世紀現代においても商港としてジェノヴァがイタリア最大の取扱高を誇っていることは、その何よりの証だと言えるかもしれない。利を尊び、名より実を獲り続けた海洋都市国家の息遣いがそこにある。

さてまだ無名の若き日、一家の所用を兼ねて男はカスティーリャ地方のある街を訪れた。どうしても訪ねておきたい人物がそこには住んでいたのである。快く面会に応じてくれたその人物もまたジェノヴァ出身であることも手伝って、話は長く続いた。不思議なことを言う。と、率直に男は思った。黒海の港で遥か東方から来たらしい異国人の奇特な居姿をすでに目にしていた男からすれば、あらゆる意味で異質な人間がこの世界にはまだ多く存在することは想像に難くない。しかしこの世が球体であるというこの人物の主張がどういうことなのか、やはりよくわからない。ならばすべてが逆様の遠き海原では、たとえばガレーの櫂はどの向きに漕がれるのか。洋上での白兵戦はどのように行われるというのだろうか。そこでは神もまた逆様なのか。そしてそのことに、いったいどういう意味があるというのか。
面白い。だが、己にはやはり関わりのないことだ。男はそう結論付けた。目下の敵は我がジェノヴァの内部にある。その敵を克服し遂せても、次には近隣のミラノやフィレンツェ、大国フランスやスペインとの鬩ぎ合いが控えている。そのさらに先では、年を追うごとに勢力を増す異教徒の海賊たちとの抗争が我が人生を埋め尽くすことだろう。そうであってほしいと願う。つまりはその結論が欲しくてここに来たのだと、クリストフォロ・コロンボの居宅を辞して男はようやく気がついた。
晴れやかな日であった。