けさみた夢のなかに、チョコレートの菓子が出てきた。棒状になっていて歯ごたえがあり、きちんとコクがあるのにクリスピーでおいしい。いままでに食べたことのない種のもので、袋から先の部分をのぞかせて食べているそのチョコレートのことは思い出せるのに、不思議とそれ以外のことは何も覚えていない。屋外だった気はする。朝もやのように薄白く冷えきったその空気の感覚がなんとなく、きのうふと思い出していたテオ・アンゲロプロスの映画に出てくるテッサロニキの感じに近かった。
◆サロニカ (テッサロニキ), Salonica, Θεσσαλονίκη
“永遠と一日”というタイトルのその映画は、テッサロニキに暮らした老詩人がアルバニア系難民の少年と関わるうちに特異な追憶の旅へといざなわれていく筋立てなのだけど、前もって言わせてもらえれば私がアルバニア系難民の子供について何かを考えることなんて年に一度くらいしかたぶんない。こう書くとなんだか妙に罪悪感を覚えてしまうのだけれど、平均的な日本人であればアルバニア系難民について考えを巡らせる機会なんてやっぱりそうはないんじゃなか。
とにかくきのうは年に一度くらいのそういう日だったわけだけど、それはこのブログの次のテーマはサロニカだなぁとあれこれ思い巡らせていたことによる。それなのにいったいなんなのだろう、この偶然は。昨夜眠るまえにみたテレビでは、コソボ自治州による唐突な独立宣言のニュースが流れていた。ブッシュ大統領なんかが面倒臭そうに事態への対応についてインタビューに応じていたけれど、あまり深く考えずに眠りについた。
それでいまこの記事を書こうとしてようやく気がついた。独立を主導したのは言うまでもなく自治州に住んできたアルバニア系住民たちで、つまりユーゴ紛争時に難民と化したまさにそのひとたちではないか。ちょっとびっくり。この手の偶然、ときどきあるよね。自分とはまったく関わりのない(はずの)こと同士がなぜか、自分のごく近くですれ違ってみせるというか。ユングの唱えた共時性なんかを引き合いにこういうことを少々オカルティスティックに捉えたり、あるいは数値的にその妥当性を反証してみせるような思考を働かせてもいいのだろうけど、現実に起きたという事態の魅力に優ることはほとんどない。だからただ唖然とその偶然の前に目を見開いているのが実は最もふさわしい態度なのだということを、この数年でようやく学んだという気がする。

サロニカの呼称もあるテッサロニキはまあそういうわけで(!!)、アルバニア系住民の多い土地である。この街からはマケドニアやブルガリア、アルバニアのほうがアテネへ行くよりずっと近く、トルコとの国境がほぼ同距離という感じ。アレクサンダー大王の東征における出発点の都とされて以来そういう土地で営々と歴史を刻んできたゆえに、ギリシア国内では最も非ギリシア的な歴史遺産に富んだ街となっている。ビサンツ帝国下イコノクラスム(聖像破壊運動)の嵐が吹き荒れた際にも街の人々が協力してイコンを隠し通したため、ビサンツ美術の貴重な作例も多く残った。交易により地力を鍛えた街が発揮するこうしたしなやかさは更なる発展の呼び水となり、オスマン帝国時代には多くのイスラム系住民が住みつき、現在ではユダヤ教徒が多い土地としても知られている。前回とりあげたアテネとは異なり古代中世を通じて、この一帯を流通面から下支えするバルカン半島の中枢都市であり続けてきた。ちなみに街の名テッサロニキはアレクサンダー大王の王妃に由来。
しかしアテネもそうなのだけど、人通りの多い現代的なショッピングモールや道路の途中にいきなり古代の遺跡や教会がぽつりと残されているのはすごい。日本だったらバリケードで囲って観覧料をとったうえに、出口付近には土産物屋が軒を連ね修学旅行のバスがあたりにとぐろを巻くだろう。古代都市、おそるべし。
ところでチョコレートにまつわる個人的な記憶を少したどってみると、ヨーロッパのものが多いことに気がついた。ウィーンで食べたザッハトルテは聞きしにまさる美味だったし、高校時代にはよくLintzのチョコレートを好んで食べた。板チョコ一枚買うためにわざわざ銀座の明治屋まで行っていたのだから、ほとんどバカか何かかと思う。いまたどれる一番古いチョコの記憶は、つくば万博のスイス館のおみやげとして親にもらったチョコレートバーだ。そういえばセックスの際に突き上げてくる男のものを‘溶けかけたチョコレートバー’と表現する女性作家がいたことも、きのうは思いだしていた。けさの夢と何か関係があるのだろうか。わりとむしゃぶりついていただけに、気になる。
映画の終わり、詩人は追憶のなかで問いかける。 「明日の長さは?」
今は亡き美しい妻がふり向いて答える。 「永遠と一日。」
私見を言えばこの宇宙の時間は永遠ではなく、永遠よりも一日長い。まさにそれが今日この一日のもつ価値なのだとおもう。
◆サロニカ (テッサロニキ), Salonica, Θεσσαλονίκη“永遠と一日”というタイトルのその映画は、テッサロニキに暮らした老詩人がアルバニア系難民の少年と関わるうちに特異な追憶の旅へといざなわれていく筋立てなのだけど、前もって言わせてもらえれば私がアルバニア系難民の子供について何かを考えることなんて年に一度くらいしかたぶんない。こう書くとなんだか妙に罪悪感を覚えてしまうのだけれど、平均的な日本人であればアルバニア系難民について考えを巡らせる機会なんてやっぱりそうはないんじゃなか。
とにかくきのうは年に一度くらいのそういう日だったわけだけど、それはこのブログの次のテーマはサロニカだなぁとあれこれ思い巡らせていたことによる。それなのにいったいなんなのだろう、この偶然は。昨夜眠るまえにみたテレビでは、コソボ自治州による唐突な独立宣言のニュースが流れていた。ブッシュ大統領なんかが面倒臭そうに事態への対応についてインタビューに応じていたけれど、あまり深く考えずに眠りについた。
それでいまこの記事を書こうとしてようやく気がついた。独立を主導したのは言うまでもなく自治州に住んできたアルバニア系住民たちで、つまりユーゴ紛争時に難民と化したまさにそのひとたちではないか。ちょっとびっくり。この手の偶然、ときどきあるよね。自分とはまったく関わりのない(はずの)こと同士がなぜか、自分のごく近くですれ違ってみせるというか。ユングの唱えた共時性なんかを引き合いにこういうことを少々オカルティスティックに捉えたり、あるいは数値的にその妥当性を反証してみせるような思考を働かせてもいいのだろうけど、現実に起きたという事態の魅力に優ることはほとんどない。だからただ唖然とその偶然の前に目を見開いているのが実は最もふさわしい態度なのだということを、この数年でようやく学んだという気がする。

サロニカの呼称もあるテッサロニキはまあそういうわけで(!!)、アルバニア系住民の多い土地である。この街からはマケドニアやブルガリア、アルバニアのほうがアテネへ行くよりずっと近く、トルコとの国境がほぼ同距離という感じ。アレクサンダー大王の東征における出発点の都とされて以来そういう土地で営々と歴史を刻んできたゆえに、ギリシア国内では最も非ギリシア的な歴史遺産に富んだ街となっている。ビサンツ帝国下イコノクラスム(聖像破壊運動)の嵐が吹き荒れた際にも街の人々が協力してイコンを隠し通したため、ビサンツ美術の貴重な作例も多く残った。交易により地力を鍛えた街が発揮するこうしたしなやかさは更なる発展の呼び水となり、オスマン帝国時代には多くのイスラム系住民が住みつき、現在ではユダヤ教徒が多い土地としても知られている。前回とりあげたアテネとは異なり古代中世を通じて、この一帯を流通面から下支えするバルカン半島の中枢都市であり続けてきた。ちなみに街の名テッサロニキはアレクサンダー大王の王妃に由来。
しかしアテネもそうなのだけど、人通りの多い現代的なショッピングモールや道路の途中にいきなり古代の遺跡や教会がぽつりと残されているのはすごい。日本だったらバリケードで囲って観覧料をとったうえに、出口付近には土産物屋が軒を連ね修学旅行のバスがあたりにとぐろを巻くだろう。古代都市、おそるべし。
ところでチョコレートにまつわる個人的な記憶を少したどってみると、ヨーロッパのものが多いことに気がついた。ウィーンで食べたザッハトルテは聞きしにまさる美味だったし、高校時代にはよくLintzのチョコレートを好んで食べた。板チョコ一枚買うためにわざわざ銀座の明治屋まで行っていたのだから、ほとんどバカか何かかと思う。いまたどれる一番古いチョコの記憶は、つくば万博のスイス館のおみやげとして親にもらったチョコレートバーだ。そういえばセックスの際に突き上げてくる男のものを‘溶けかけたチョコレートバー’と表現する女性作家がいたことも、きのうは思いだしていた。けさの夢と何か関係があるのだろうか。わりとむしゃぶりついていただけに、気になる。
映画の終わり、詩人は追憶のなかで問いかける。 「明日の長さは?」
今は亡き美しい妻がふり向いて答える。 「永遠と一日。」
私見を言えばこの宇宙の時間は永遠ではなく、永遠よりも一日長い。まさにそれが今日この一日のもつ価値なのだとおもう。





毎回まるで見てきたようなことを言うようだけれど、ここに関しては実際に歩いたことがある。要塞につらなる防波堤に座ってひと休みしたりもした。クレタ島を中心に発達したミノア文明は、外光的な印象のあるエーゲ海の諸文明のなかでもひときわ開放的なことで知られており、その気風は現在のイラクリオンにもどこか通じている。もしエーゲ海をこれから旅行するひとがいるのなら、アテネやロードスやミコノス島もいいけれどクレタもぜひお薦めしておきたい。
で。ドゥブロヴニク。こちらならテレビや本などで幾度か目にしてきたわけだけど、NHKでもTBSでも世界遺産系の番組でこの街を扱うと必然的にその回は高水準のものになる。なぜなら素材が良すぎるからだ。限られた区画に濃い歴史と磨き抜かれた伝統と度重なる戦乱を耐え切った痕跡が凝縮されているためどの目にも映えるし、そこに暮らす人々はみなこの街とともにユーゴ紛争の戦火をくぐり抜けた生き証人だからストーリーにも事欠かない。‘アドリア海の真珠’と讃えられることにはテレビ画面を眺める誰もが納得がゆくだろうし、現存してくれて本当に良かったと視聴者を安心させながら番組を終えられる。完璧。てかなにこの青と朱と白の美麗。ほとんどジョークの世界じゃないか。






現代史におけるトリエステの変遷もまた複雑怪奇なのだけれど省略。チャーチルによる有名な“鉄のカーテン”演説[1946]の一節が大国に翻弄されたその軌跡を象徴しているような気がする。