まず最初に目を引く壇上の背景に位置する大画面(写真上中央)、これは明らかにティントレットによる大作≪天国≫の再現である。ヴェネツィア最大の守護者である聖母マリアが、天国の女王として戴冠を受ける場面が描かれているこの作品は、そのサイズが同時代の油画作品としては他に類例がないほどに巨大なことでもよく知られている。
そしてこの作品や部屋の構成、基壇の形状などから、そこが現存するドゥカーレ宮殿内部の“大評議の間”の再現を意図したものであることはどのようにも疑いえない。(写真下は現存する実作品)

ドゥカーレ宮殿“大評議の間”はヴェネツィア共和制のシンボルとも言える空間であるし、ティントレットはヴェネツィア派ルネサンス美術の中心人物に他ならないから、ゲーム内にこの空間を再現させた光栄の選択を、美術好きの一ゲームファンとしてまずは素直に喜びたいと思う。
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だがそのつもりで部屋を仔細に見まわしだすと、あれ?、と首をかしげたくなる点が次第にいくつも目についてきた。なかでも圧巻なのは、存在感たっぷりに位置するこの部屋の大天井画(写真下)における、いくつかの不可思議な“取り違え”だ。

この作品はその構図から、同じくティントレットの代表作の一つ≪ヴェネツィア称揚≫であることがわかる。だが、ここで目を向けるべきは、それが誰の作品なのかを言い当てて悦に入るマニアックな興味の矛先などではなく、
その作品がなんと左右反転していることなのだ。実作品の良い写真がなくお見せできないのが残念だが、たしかにこの作品は、左右反転してしまっている。作品下半を斜めに横切る陸地と雲海との境界線は、実際には左下端から右上方へと伸びている。
そしてさらに言えば、ティントレット≪ヴェネツィア称揚≫は実際には、
この部屋には存在していない。この作品があるのは同じドゥカーレ宮殿内の“元老院の間”であって、≪天国≫のある“大評議の間”ではない。これはまことに、摩訶不思議な事態ジャマイカ。
そこでわたしはさきにも書いたように、「ああ、“取り違え”たんだな」と考えた。というのもこの“元老院の間”、“大評議の間”とほんとうによく似ているのだ。部屋の前方に基壇があり、その左右に奥の部屋への扉がある点も、両側方および天井に絵画作品が居並ぶ構成も素人目には実にそっくりで、異国の美術史になどとりたてて興味も造詣もない(かもしれない一部の)ゲーム制作関連の技術者が、取材班から渡された資料写真と室内配置図のいくつかを取り違え、さらにはティントレットの作品図版を何かの拍子に左右反転させてしまったとしても、それはそれでありうることだと想像したのだ。
だが、ここでは
事態はまだ収束しない。事件は現場で起きている。自分でもなにを言ってるのかわからなくなってきたが、ともかくも現場をもう少し歩いてみることにしよう。
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ドゥカーレ宮殿の“大評議の間”は、実をいうと一度火災に遭い、そこにあったはずの数々の作品を焼失してしまっている。その多くはいずれもが、ティントレットの師匠筋にあたるティツィアーノやヴェロネーゼ、さらには巨匠ピサネーロやカルパッチョらによる傑作であったと推定されており、ヴェネチア美術史上痛恨の大事件であったわけだが、この火災がなければ現存するティントレットの作品も描かれることはなかったわけで、凡庸な物言いだが<歴史とはいかにもアイロニーに満ちている>。
(ちなみに1577年に起きたこの火災を手がかりにゲーム内でのヴェネツィアの在りようを考えると、このゲーム中では街北部に邸宅を構えるミケランジェロやセビリアに住むエル・グレコ、他の邸宅内の壁面装飾など美術関連の事物/人物だけをとってもいろいろと面白い連想が浮かんでくる。が、それはまた別の機会に。)
ともあれそうした理由から、ドゥカーレ宮内部にあっては比較的新しい作品群が並ぶこの部屋には、その部屋自体の使用目的上の性格に加え、次第にヴェネツィアが劣勢に追い込まれていく当時の世相も反映して、我らがヴェネツィア共和国の強勢を誇る内容の絵画作品が多く配置されることになった。その内容は、他国の艦隊を破るヴェネツィア海軍のガレー船団や、サン・マルコ広場での祝勝式典の様子など、いずれも豪壮なものが多く、そのほとんどは現在もこの同じ部屋にあり一般に公開されている。

そこでこの作品(写真上)を見てほしい。
ガレー船などどこにもない。少しも豪壮なんかじゃない。一見聖書の一場面を描いているようでいて仔細に見ると、
何の場面を描いているのか、よくわからない。
ふつうに見れば、中央の女性に二人の男性が花冠を授け、その上方には白い鳩が描かれるこの構図は、新約聖書の“聖母マリアの戴冠”の場面を描いたものであり、左右の人物は各々がイエス・キリストとゼウス神を表しており、精霊の化身たる上方の白鳩とともに三位一体を意味している。
はずである。 だがそれならば、その周囲に描かれた混沌の様はいったい何を意味しているのだろうか。“聖母戴冠”の場面ならばむしろあってしかるべき下界より見守る使徒たちの静謐も、集う天使たちによる祝福もここにはみられず、代わりに描かれているのはねじりまざり合う肉体らしきもの、戦場の光景を思わせるような苛烈なとっくみ合いらしきものばかりである。
これはもしかして、意図的なフェイクじゃないか。いろいろな作品から部分部分をコラージュして、意図的に存在しない絵画作品をでっち上げているんじゃないか。と、ひとたび疑い出すと、パーツパーツの明度や彩度が他の部分と異なり全体の調和を著しく乱していることなどから、そうした疑念が確信へとすくすくと、ひしひしと、
もりもりと成長していくのを感じてゆく。
だが結論を急ぐ前に、もう少し他の作品でも検証を試みよう。なによりもまず、ここでは慎重さと大胆さとを併せ持つことが肝要だ。事件は会議室で起きてるんじゃない。なにをいっているのか、わからない。

ではこの作品(写真上)はどうだろうか。ぱっと見、ものすごくありそうな絵画に見える。母性的な雰囲気を漂わせる女性の膝元に二人の幼児が戯れ、背に羽の生えた天使が傍らから穏やかに見守るこの図は、その典型的な人物配置から、女性は聖母マリアであり、幼児はそれぞれ幼少時のイエス・キリストと洗礼者ヨハネだとわかる。色調もうまく統一されている。
だが、画面右にいる幼児のペアと、左にいる幼児のペアをよく見ると、・・・・・・
完全な、コピペ発見。 ( ´_ゝ`)
まぁなんというか、あれなのだ。要点から言ってしまえば、さきに述べた“取り違え”もここまできて始めて、取り違えなどではなく意図的な操作なのだとここまできて合点がいった。
法的な問題にわたしは詳らかではないけれど、個々の作品自体に特定の個人・法人へと帰属する著作権はすでに存在しないとしても、画像の使用権に関する法規定は国によりマチマチだろうし、ネットゲームへの画像の転用は明らかに商用目的にあたるから、いろいろと問題を孕み“得る”ことではあるのだろう。とりわけこれらをある特定の団体が所有する建築物の一部として見なすならば、その画像の権利関係は一層複雑怪奇となるに違いなく、むしろ意図的にバッタもんをでっちあげてお茶を濁しておいた方が、より実りある方向へとゲーム制作のリソースを注げるのは確かである。
そう思いめぐらせて、あらためて壇上の大作≪天国≫の細部に目をやってみる。

なにを描いているのか、さっぱりわからない。
当初はグラフィックに割かれた容量上の問題として無意識のうちに見逃していたこの不明瞭さにも、実は判然としてないことこそが鍵となるような事情があったのかもしれないという、至極ささやかで、独断と偏見に満ちあふれかつ、だれの役にも立つわけがない発見と考察を述べて、唐突に本記事を終えることとする。
形や細部の正確さより、全体のかもし出す質感や情感こそが、ヴェネツィア派の絵画においては大切だったというおはなしでした。(エ?) ではまた次回にお会いしましょう。

いざ、

海へ。
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