◆ナポリ, Napoli, Νεάπολις
もとはエーゲ海の小島で暮らす貴族の家に、ラバ4頭分の値で買われた奴隷であった。家の主は近隣でも名の通った開明的な人物で、所有する奴隷たちに対しても周囲の目からは奇異に映るほど寛容な態度をとった。望む者には教えを施し、書庫への立ち入りすら許したのである。奴隷の男はこうして、言葉が黒い曲線の束へと化けた先に息づく、広大な未知の世界を予感した。
やがて男は毎日買出しへ出る市場である使役人の娘と出会い、一瞬にして恋に落ちる。彼はお世辞にも聡明な頭脳の持ち主とは言えなかったが、商人が娘の名を呼ぶのを耳にした日の夕刻、無礼を押して主人に乞い願い、その名を文字に表す術を学んだ。その晩は眠れず、幾度となく娘の名を地べたになぞり、朝を迎えた。
そして戦乱が島を襲う。奴隷の所有者はアテネの有力者へと変わり、転売され、さらに転売されたのち、彼の身は遥か西方の植民市ネアポリスの地底に広がる採石場へと移された。男はそこで、深く、さらに深くへと、地中に穴を穿っていた。

“暗黒の木曜日”に端を発した先の世界恐慌による影響もまるで匂わせないこの街の喧噪を、数週前に長い放浪の旅から帰り着いた学生は何とも頼もしく感じていた。ちょっとした街角や民家の庭先にローマ時代の遺物が顔をのぞかせることも珍しくないこの街で暮らす人々は、他の街の人間にくらべて持っている時間の尺度がずっと大きく、打たれ強い。それは旅に出て初めて知ったことだった。そのことの意味など思い巡らせながら、学生は街の路地裏を隈なく歩き続けていた。
幼い頃からあてどもなく歩き回るのが好きな質(たち)ではあったが、最近の彼は少し様子が違っていた。旅の終盤に近隣の町へと立ち寄った際、たまたま入った骨董屋の奥隅で見つけた埃まみれの古文書の束が、学生の歩く姿勢を変えさせた。その朽ちかけた紙束に載る記録の羅列は彼の住む地域にローマ時代、かなり大きな円形劇場が存在したことを仄めかしていたのである。それから学生は街角のちょっとした小道の曲がり具合や坂の勾配、普通なら気にもかけないような石畳の段差のうちに、古代の街並みを見るようになっていた。そしてある日の夕暮れ近く、古くからの商店で賑わうある一角が、丸ごと劇場のアリーナ部分に相当することを突きとめた。周囲からは少し落ち窪んでいるその場所では、わずかに地上にのぞく劇場の通路の石壁が今ある商家の柱の土台となり、観客席の石階段がそのまま穀物倉の基礎とされていることを見出した。
大学への転科願いをしたため、研究者として生きる決心を固めたのはその夜のことだった。

まさかこの街が、爆撃を受けるとは思ってもいなかった。街の防衛部隊へと配属されたとき、分隊長は内心ほっとしたものだった。そのことで当面は、見知らぬ誰かとこの手で殺し合うような事態は避けられると考えたのである。だが物ごとは、分隊長の予想を遥かに超える速度で進行する。イタリア軍は南方でリビアからエジプトへ、東方でアルバニアからギリシャへと進軍したが、準備不足が祟って早々に前線が崩壊、今では逆に侵攻される憂き目に遭っていた。
砲撃によって旧知の教会前に大穴があいたとの知らせを受けたのは、街の沖合にイギリス艦隊が姿を現してから間もなくのことだった。穴の底には不自然な空洞が口を広げているという。史上幾度も繰り返されたベスビオ山の噴火によって、この街の地中には出口を失ったローマ時代の貯水槽や遺跡群が往時のまま数知れず眠っていることは、地元の人間ならば誰もが知るところである。実際多くはこの戦時下に掘り返されて防空壕へと転用されてもいたのだが、その教会付近の地下についての情報を軍はまだ把握していなかった。ためにさっそく調査の命令を受けた彼の分隊が、穴の奥で目にしたものは。
その出来事は分隊長がかつてこの街の孕む謎に対し抱いた情熱を、戦火のもと再び鮮やかに揺り起こすことになる。心中に発した熱はとても激しく、力強く、一度火がついてしまえばもうとどめようのないものだった。彼はこの偶然を深く愛した。

ナポリ大学考古学研究室教授ニコロ・アルジェントにとって、地中レーダーを使用して地下40メートルの奥底に発見した古代の採掘現場に関する研究は、彼の学者としての実績を集大成するものとなっていた。掘削法の分析や放射性炭素による測定から年代としては紀元前5世紀の古代ギリシア植民市時代とすでに確定していたが、いまだ解けない最大の謎はその壁面に残された文字である。ギリシア系の文字であり、そこで使役された鉱夫により彫られた可能性は高いのだが、現在判明しているどの古代ギリシア語の派生パターンともその文字の羅列は符合しない。作業工程に関する記録とする説や、ギリシア語を元として鉱夫たちのあいだで独自に発達した記号だとする説などが浮上するものの、いずれもこの地中深くにわざわざ彫り記す必然性を説明しきってはいなかった。
ニコロ・アルジェントは最近ひそかにこう考えるようになっている。この文字はこの場所に連れて来られた人物にとってとても大切な、疲弊してなお鑿で刻み付けずにはいられないほど忘れ難く、かけがえのない誰かの名前なのではないか。論的根拠は何もないのだが、どの仮説よりも不思議とこの空想には力を感じた。日射しの傾きかけた午後、木漏れ日のなか研究室への小道を歩いていた教授はふと気がついた。その力は遠い日に、ナポリの街角に古代の劇場を見たときの興奮や、艦砲射撃によってあいた大穴の底で不意に捉われたあの熱情の在りかたと、ぴったりと重なっていたのである。ただ歩くことしか知らない己をこの日々へと導いたその偶然の連鎖に想い至ったとき、彼の両のまぶたは穏やかに閉じられ、互いに組んだ両掌はゆっくりと眉間へ寄せられた。戦争の悲惨を目にしてから半世紀の長きにわたり神を信じずにいた彼が、そうと意識することもなく、静かに祈りを捧げていたのである。
もとはエーゲ海の小島で暮らす貴族の家に、ラバ4頭分の値で買われた奴隷であった。家の主は近隣でも名の通った開明的な人物で、所有する奴隷たちに対しても周囲の目からは奇異に映るほど寛容な態度をとった。望む者には教えを施し、書庫への立ち入りすら許したのである。奴隷の男はこうして、言葉が黒い曲線の束へと化けた先に息づく、広大な未知の世界を予感した。
やがて男は毎日買出しへ出る市場である使役人の娘と出会い、一瞬にして恋に落ちる。彼はお世辞にも聡明な頭脳の持ち主とは言えなかったが、商人が娘の名を呼ぶのを耳にした日の夕刻、無礼を押して主人に乞い願い、その名を文字に表す術を学んだ。その晩は眠れず、幾度となく娘の名を地べたになぞり、朝を迎えた。
そして戦乱が島を襲う。奴隷の所有者はアテネの有力者へと変わり、転売され、さらに転売されたのち、彼の身は遥か西方の植民市ネアポリスの地底に広がる採石場へと移された。男はそこで、深く、さらに深くへと、地中に穴を穿っていた。

“暗黒の木曜日”に端を発した先の世界恐慌による影響もまるで匂わせないこの街の喧噪を、数週前に長い放浪の旅から帰り着いた学生は何とも頼もしく感じていた。ちょっとした街角や民家の庭先にローマ時代の遺物が顔をのぞかせることも珍しくないこの街で暮らす人々は、他の街の人間にくらべて持っている時間の尺度がずっと大きく、打たれ強い。それは旅に出て初めて知ったことだった。そのことの意味など思い巡らせながら、学生は街の路地裏を隈なく歩き続けていた。
幼い頃からあてどもなく歩き回るのが好きな質(たち)ではあったが、最近の彼は少し様子が違っていた。旅の終盤に近隣の町へと立ち寄った際、たまたま入った骨董屋の奥隅で見つけた埃まみれの古文書の束が、学生の歩く姿勢を変えさせた。その朽ちかけた紙束に載る記録の羅列は彼の住む地域にローマ時代、かなり大きな円形劇場が存在したことを仄めかしていたのである。それから学生は街角のちょっとした小道の曲がり具合や坂の勾配、普通なら気にもかけないような石畳の段差のうちに、古代の街並みを見るようになっていた。そしてある日の夕暮れ近く、古くからの商店で賑わうある一角が、丸ごと劇場のアリーナ部分に相当することを突きとめた。周囲からは少し落ち窪んでいるその場所では、わずかに地上にのぞく劇場の通路の石壁が今ある商家の柱の土台となり、観客席の石階段がそのまま穀物倉の基礎とされていることを見出した。
大学への転科願いをしたため、研究者として生きる決心を固めたのはその夜のことだった。

まさかこの街が、爆撃を受けるとは思ってもいなかった。街の防衛部隊へと配属されたとき、分隊長は内心ほっとしたものだった。そのことで当面は、見知らぬ誰かとこの手で殺し合うような事態は避けられると考えたのである。だが物ごとは、分隊長の予想を遥かに超える速度で進行する。イタリア軍は南方でリビアからエジプトへ、東方でアルバニアからギリシャへと進軍したが、準備不足が祟って早々に前線が崩壊、今では逆に侵攻される憂き目に遭っていた。
砲撃によって旧知の教会前に大穴があいたとの知らせを受けたのは、街の沖合にイギリス艦隊が姿を現してから間もなくのことだった。穴の底には不自然な空洞が口を広げているという。史上幾度も繰り返されたベスビオ山の噴火によって、この街の地中には出口を失ったローマ時代の貯水槽や遺跡群が往時のまま数知れず眠っていることは、地元の人間ならば誰もが知るところである。実際多くはこの戦時下に掘り返されて防空壕へと転用されてもいたのだが、その教会付近の地下についての情報を軍はまだ把握していなかった。ためにさっそく調査の命令を受けた彼の分隊が、穴の奥で目にしたものは。
その出来事は分隊長がかつてこの街の孕む謎に対し抱いた情熱を、戦火のもと再び鮮やかに揺り起こすことになる。心中に発した熱はとても激しく、力強く、一度火がついてしまえばもうとどめようのないものだった。彼はこの偶然を深く愛した。

ナポリ大学考古学研究室教授ニコロ・アルジェントにとって、地中レーダーを使用して地下40メートルの奥底に発見した古代の採掘現場に関する研究は、彼の学者としての実績を集大成するものとなっていた。掘削法の分析や放射性炭素による測定から年代としては紀元前5世紀の古代ギリシア植民市時代とすでに確定していたが、いまだ解けない最大の謎はその壁面に残された文字である。ギリシア系の文字であり、そこで使役された鉱夫により彫られた可能性は高いのだが、現在判明しているどの古代ギリシア語の派生パターンともその文字の羅列は符合しない。作業工程に関する記録とする説や、ギリシア語を元として鉱夫たちのあいだで独自に発達した記号だとする説などが浮上するものの、いずれもこの地中深くにわざわざ彫り記す必然性を説明しきってはいなかった。
ニコロ・アルジェントは最近ひそかにこう考えるようになっている。この文字はこの場所に連れて来られた人物にとってとても大切な、疲弊してなお鑿で刻み付けずにはいられないほど忘れ難く、かけがえのない誰かの名前なのではないか。論的根拠は何もないのだが、どの仮説よりも不思議とこの空想には力を感じた。日射しの傾きかけた午後、木漏れ日のなか研究室への小道を歩いていた教授はふと気がついた。その力は遠い日に、ナポリの街角に古代の劇場を見たときの興奮や、艦砲射撃によってあいた大穴の底で不意に捉われたあの熱情の在りかたと、ぴったりと重なっていたのである。ただ歩くことしか知らない己をこの日々へと導いたその偶然の連鎖に想い至ったとき、彼の両のまぶたは穏やかに閉じられ、互いに組んだ両掌はゆっくりと眉間へ寄せられた。戦争の悲惨を目にしてから半世紀の長きにわたり神を信じずにいた彼が、そうと意識することもなく、静かに祈りを捧げていたのである。








































